人工知能狂騒曲

最近はさすがに落ち着いてきた。もちろん一部では「人工」の「知能」という言い方に拘泥している一群もあるが、基本的に所謂「人工知能」は、SF的な人工知能ではなく、機械学習やそれに関連した統計的手法を利用したなんらかの仕組みである、ということのコンセンサスはとれつつある。現在言われている「人工知能」が「知能をもつ」とおもっているまともなIT屋はひとりもいない。(言いたいのは対偶)

そもそも、知能の定義については、諸説いろいろあって、普通のIT屋だと一般にチューリングテストみたいなの持ち出すことが多い。冷静にみれば、あんなものが定義になるわけはなくて、個人的にはアレは天才チューリングをもってしても知能をformalizeできなかったギブアップ宣言とみている。ということで、そもそも何が知能か?という定義は個人的には難しいと思っている。

普通になんらかのデータのインプットがあって、プログラムがなんらかの推論処理を施し、ユーザに有用なアウトプットがでればそれで充分「人工知能」でしょう。別にエクセルのマクロでも問題ない。実際、ひと昔前のルールベースの人工知能とやらはエクセル・マクロと大差はなかった。

以下は話を業務用の用途に絞る。「人工知能」の利用は業務用の他にコンシューマー向けの方も活発であるのは周知の通り。家電や自動車の自動運転などがあるが、見ている限りは現時点ではR&Dの域を出ていないか、または投入したとしても「おまけ」の位置付けになっているように見える。専門家以外の不特定一般第三者にAIサポートを無制限に使わせるには、特にクリティカルな利用ではさすがに厳しいだろう。現状有望なAIの用途は専門家のサポート、すなわち業務向けのサポートシステムだろう。

◇マーケットの外観について

話を業務用に絞った上での話ではあるが、現状の「人工知能」のマーケットは確立していない。マーケットどころか、まずその人工知能的な「ツール」をどう開発するか?そもそも役にたつ「ツール」なのか?というところにとどまっている。往年のゴールドラッシュに例えていえば、そこに金鉱「らしき」ものがあるのに、そのまえにまず「俺のスコップの方が掘れるはずだ」「いやこっちの新型ディープラーニング印のスコップの方が」「いやいやなんといってこのワトソン印の」とやっている感じ。

もちろん一部ではすでにここに金鉱があるはずだ、であたりをつけて掘り始めているところもあるが、いや、ちょっとなんかこれ勝手が予想より違うんだけど、というかそもそもこれ金鉱なのまじで?という感じになりつつある。いや、そもそもスコップじゃ無理じゃね。という展開だ。

もちろん掘れば「天然資源」は出てくるので、鉄鉱石やら石炭やらはでてくるとは思うが、金鉱か?というとちょっとそれ、そもそも根拠なんだっけそれ?という話になりつつもある。一般に「この山には金鉱がある」ということをいう詐欺師のことを山師というが、まぁ人工知能推進派と山師はあんまり違いがない雰囲気も一部では見受けられる。もちろん、「金鉱っぽい」のを見つけているかもと言うところはあるが、やはり例外。

◇現実のインフラの状況やビジネス

AIを提供する側からみると、実は機械学習を「試す」ための環境はすでに十分提供されている。いわゆる触ってみる、ということだけであればたいていのクラウドベンダーはGPGPUの環境は提供しつつあるし、もっとユーザビリティをあげるという意味でSaaS相当のサービスも提供している。んで、実際のこれらのビジネスはどうか?というと、全くお金になっていない、お試しユーザが数はまぁいるにはいて、ごく極めて少数のユーザが相当金を突っ込んで使っている感じだ。

インフラに投資している方からは、懐疑的かつ恨み節的なコメントまで聞かれる始末だ。曰く、本当に儲かるのか?これ?である。仕方がないので、極めて少数のユーザの取り合いですでにダンピングまがいのことまで起きているようだ。現状は相当厳しい。クラウドビジネスの初期が、結局(というか多分今も)特定ゲーム・プラットフォーマーの取り合いになっていたのとほぼ同じ。

要するに、まともに使いこなして「人工知能をお金に変えている」ユーザはほとんどいない。これは提供側からも透けて見える。一般的には「いまは儲からないけど、そのうち儲かるはずだ」状態でなんとか言い訳している状態になっている。

◇何が足りないのか?

機械学習・「人工知能」については、それなりに用途があることは、特に異論はないと思う。ある程度、機械側で推論してあげて、割と無駄な作業は減らしましょうというのは、合理的だし、人手がたらないこの世相では役に立ちそうに見える。ただなんかコレじゃない感がいろいろと漂っていて、ピースが足りない感が強い。それも複数足りない。

1.人の問題か?

よく機械学習等を使いこなす人材の不足が指摘される。ちょいと前まではデータサイエンティストだった。たしかに機械学習の使い手は足らんわなという印象は強い。基本的なところができていないとどうしようもないので、「すぐに手を動かせる」人材は必要だし、不足気味だ。ではそういう人材が輩出したとして、市場が立ち上がるか?といえば、それだけでは厳しいように見える。

今や、この辺りは、もうすでに「データサイエンティスト」からの鞍替え組も含めて、玉石混合。抜いた、抜かれたのごぼう抜きで、「君、ちょっと機械学習できるよね?」という感じになっている。もちろん統計処理の分析と機械学習は「まったく違う」のだが、そのへん無視しての人材取り合い。そろそろいい加減にした方がいいと思う。札束で殴るような人の抜き方は端から見ていて閉口する。ブームが過ぎ去った後、お互いがどうなるのか。

ま、そもそもそれが使える人材なのかを判定する人工知能がいるんじゃないかという陰口はともかく、人が足らないという意味では足らない。ただ、IT業界で人が足りているということは有史以来なかったので、これも所詮、そのレベルの話ではある。SI市場だって人は足りてない。

2.SI屋の問題か?

日本のほとんどの企業はITの開発維持管理はSI屋に依存している。内製化といっても、SI屋からの派遣で賄っているところが多数で、主導権争いの話でしかない。ごく少数で採用からやっているところもあるが、採用後のキャリアパスがはっきりしない上に、特に技能の向上策については準備されていないため、4-5年でタコツボ状態になっている。要するにほぼ日本全体でSI屋依存から脱却はできていない。

よって機械学習やら「人工知能」をユーザ企業が利用するのであれば、SI屋頼みになるが、これは、ほぼ絶望的に厳しい。「やったことないから、やり方がわからない。ユーザさんが教えてくれたら、その通りにやるから教えてください」である。ほぼ例外はないだろう。

要するにSI屋サイドもかけ声だけで、実態としてはどうしていいかわからないのが現実に見える。これはまぁ、ビックデータでもIoTでもなんでも同じなんで、これも以前からある。今更感も強い。

果たして「人工知能(以下AI)」ビジネスがイマイチの理由は、IoTとかビックデータとかそういうのが割とイケテいない理由とかなりカブるので、多分今後も問題のままだろう。そこについてごちゃごちゃ言っても仕方がないので、そうではなくてもっと「人材をある程度確保してSI問題もある程度クリアした先に、“まだある”本当の課題」について書いておく。

3.人間の仕事をアシストする、ということ。

冷静に考えてみればわかるが、「システムを使って人をアシストする」というのは別に人工知能に始まった話ではなく、そもそもIT自体の主たる目的の一つである。特別な話ではない。だからAI、AIと騒いだところで何かが劇的にかわるわけではなく、システムを積極的に使いこなしているところは、その延長線を延ばすだけだし、また、使いこなしてないところはAIだからといって何かができるわけでもなく、そのまま、あいかわらずITとは縁遠いままで終わる。

で肝心の問題は、割とちゃんと取り組んでいるところでの「考え方」だ。

■これから直面すると思われる本当の問題。

それなりにちゃんと取り組みつつあるというところが、頭を悩ませる問題がある。これは、今の日本の縮図そのものになるのだが、「では一体どこまで人にやらせるのか?」という問題だ。現状の日本の産業のほとんどは労働集約的だ。資本集約的な産業ですら、日本国内ではいつのまにか労働集約的になってしまっている。よって必ず、人の問題にぶつかる。

「なるべく創造的な仕事に人を回したい。無駄な作業は軽減したい」というのが経営陣の大体、共通見解。そのために推論的なサポートを入れたい。ところが、現実は「そういう創造的な人材は枯渇しつつあり、結局単純作業+αが現状の人材の標準レベル」になってしまっている。IT的なサポートは必要な情報を適宜に提供するという方向にして、情報を集める事務的なコストを削減し、人はむしろそのサポートを生かしてより創造的な仕事に注力させたい。しかし、そもそもそういった情報を生かしてクリエイティブなことができる人材がいなくなりつつある。「AIのサポートを活かし切ることができない」また「判断に必要なデータが提示されたところで、そもそも判断ができるかどうか怪しい」こんな嘆きがかなり多い。

結果どうなるかというと、ITはむしろ自動化の方に振ってしまって、可能な限り現場には判断させないでほしい、という要望になる。そして、どうしても自動化できないところに人を入れる、という結論になる。とはいえ推論エンジンで全自動化は無理がある。よって自動化を進めると「人間が推論エンジンを助ける」という妙な役回りになる。人間をサポートするはずのITを、逆に人間がサポートすることになる。

「より賢いITに業務をサポートをさせようとすると、サポートするべき人間が見つからない」という話がちょくちょく出てきている。そんなバカな話はない・・・のだが・・・どうしてこうなった?というのがAI的なものを導入しようとするときの本当に壁になる。

■AI的なもの いやシステムのサポートは総じて全て「過去の経験の延長」でしかない

AIのような仕組みは基本的に過去データをベースに推論する。大抵のIT系サポートはなんらかの過去データに基づいていることが基本になっている。そのサポートを生かす、ということは過去のデータを参考にして、より良い結果、いままでとは違う結果、を上げていくことだ。

現場からすると、上記の話は当たり前のことで、そもそもAI以前の話だ。それをやろうと思ってもレポート作成やら本社や偉い人の指示やら会社の方針とやらで、やらせてもらえなかったというのが本音だろう。ところが、実際にそういうサポートが受けられるようになり、ある程度の判断を要求されるようになったときに、果たして結果をだすのが結構難しいどころか、できる人間がほとんどいないということになってきている。

「昔はそうではなかった。今は現場のレベルが下がった。」こういうことを言う経営者・マネージャーも多い。個人的にはまぁそーかなーとは思っていた。個人的な経験で、データを参照しながら、新しいアイデアを出して、それを実行計画におとして、先にすすめるという人はそれなりに居たし、結果も出していた。そういう人が減ったんだろうな〜とは思っていた。なかなかめんどくさい世の中になったからな〜、と。そもそも結果も出づらい。

ま、レベルが下がったなら、なんとか戻すとかすればいいのでは、とそう思っていました。が。

■本当にレベルが下がったのか?

それで、遠目で見ていると、・・・そもそも創造的な仕事ってのは、個人の資質なんじゃないか?と言う疑問がよぎる。そもそもそういう創造的な仕事をやれるような仕組みを会社がつくっていたのではなくて、才能ある個人が勝手に頑張っていて、それに会社がよりかかっていただけではないのかと、そんな考えがチラチラ浮かぶ。別に定量化しているわけでもなんでもないのですが。

そもそもバイタリティや想像力+実行力がある人は、実は社内政治に弱い。当たり前で、そういう新規の試行錯誤をやる場合は、成功するより失敗することの方が多い。んで、これは普通はいろいろコスト増になる。コスト増を追い落とすのは簡単だ。なので、そういう個人はいつの間にか排斥される。いなくなるというか、辞めていく。

そしてとうとう居なくなったのではないかな? そんな気が最近します。レベルが下がったと言うか、そもそも維持する努力をしてなかったのでは?

■過去とは違うことをやる、ということ

冷静に考えてみればわかるが、「過去データの出した結果」を上回る、より新しいことをやる、より上手くやるというのは簡単ではない。仕事を効率良く、ノーリスクでやるのは、過去の成功と同じトレースを「とりあえず」やることがもっとも近道だ。Expertな人がExpertであるゆえんは、過去の実績と現状を見た上で、自分なりの工夫を足していくからであり、いつまでも同じことをぐるぐるやっているのはプロというより初心者のアマチュアだ。

AIなりデータサポートなりを使いこなせない、むしろ自動化した方がよい、というのは、単に担当者がアマチュアなだけではないのか?人材がいない、というのは実はそういった「自分なりの工夫」をすることを会社の文化としてちゃんと支援してこなかったツケにみえる。いや、むしろ、会社の方針やら大人の事情やら「俺の経験」やらを押しつけて、本人の向上の余地をリスク回避やらコンプライアンスを理由に積極的に押さえこんできたのではないのか?

そもそも、別段上からの圧力がなくとも、「何が起きているのかの把握と過去データの収集・整理」で気がつけば時間の大半をとられ、その説明と言い訳、会議の根回しが通常業務になっていれば、これは確かに「過去を越える」などということはとてもできない。

仮に企業の個々人がAIなりデータなりいろんなサポートを受けるに値しない、ということであれば、それは実は、本当に意味でのプロフェッショナリズムが失われているということだと思う。AIの業務系の導入の本当の壁は、こういうところにあるように見える。

AIは過去のデータをストレートに「素早く」出してくれる。それに向き合うことができるかどうかが本当に課題だ。機械学習の人材を集め、SIの問題を解決しても、結局「新しいことができる人材」がいない限り、“AIビジネス”は、一握りの企業のバブルで終わり、永遠に離陸することはないように見える。ま、体感的にそんな感じ。