アンデルセン:高木誠一さん追悼

本来、僕がどうこう書くものではないし、しかるべき人がしかるべき何かのコメントを書くべきだと思う。とはいえ、時代的なものも含めて、後につながる人が「発掘」できるようにはしておきたい。追悼文を書く。これはとある事情で、たまたまこういうタイミングだったいうこともあるので書く。

 

アンデルセンの高木誠一さんが亡くなられた。昨年のことだ。ちょうど一年たつ。

 

アンデルセンというのは、インストアベーカリーの最大手であり、FC(リトルマーメード)も展開している。一般の人もお世話になっている人もいると思うが、要するにパン屋さんだ。高木誠一さんはその創業者に連なる方で、亡くなられるまでアンデルセンの方向性に関する最終的な責任者でおられた。日本のパン業界(というかベーカリー)においては、ものすごくインパクトを与えた人であることは間違いない。

 

アンデルセンさん(以下敬称とか適当)は、僕個人の関わりで言えば、前々職・前職・現職ですべてで取引先・得意先だった。もともとは自分の父のつながりの方が深いが、自分も高木さんには折り触れてお話を頂いたり、逆に現状のITの話などもさせていただいた。アンデルセンさんの原価計算やEDIは僕らのソフトウェアを採用していただいている。

 

ということで、アンデルセン社員の方々とはかなりの長い付き合いで、折りに触れていろいろな方といろいろな話ができた。とはいえ、あくまで一部の方であり、これから書くことがすべてに当たるものではないと思うし、あくまで僕の見たものでしかないことは留保させてもらう。その上で高木さんがなしたと、僕が思うところを記し、追悼としたい。僕個人は別段ベーカリーの人間でもないし、それこそ日本(というか世界(これは別にアナロジーでもなんでもない))のベーカリーについて、高木さんが残した功績は、その業界の方が記録すべきであると思う。

 

・高木さんは、会社に「文化」というものちゃんと落とし込めた希有の経営者だと思う。

 

もちろん、ベーカリー関係者であれば、留学制度の話、文化研究所の話や、農園や、そもそもデンマークとの国交レベルでの交流の話をはじめ、企業活動の枠を超えた、アンデルセンさんの、ベーカリーというものに対する基本的な在り方について、知らない人はいないと思う。これはもう一種の企業文化であることは誰しもが認めるところだと思う。

 

ここで僕が言いたいことは「それ」ではない。

 

通常、この手の「直接的な企業のキャッシュフローに加算されない」企業としての取り組みは、たいていの場合は“オーナーの「趣味」の延長線であり、俺たちの知ったことではない。道楽だろ”という意見がどの会社でも通奏低音で存在するのが常だ。その意義については「確かに意義は認めるが、俺たちの給料にどう関係するのか?」ということになる。また、無責任な「俺は従業員の味方だぜ」役員とか副社長あたりが、そういう支出は会社にとって意味があるのか?的な疑義を適当に出したりして、最後は代表訴訟のリスクもあります的な話まで持ちだしたりする。まぁ要するに非常に維持がしづらい。にもかかわらず、あそこまでのレベルまで「パンというものに対する文化的なスタンス」を企業活動として取り入れたのは、尋常ではない。

 

それはそれですごいが、本当にすごいのはそこではない。

 

・まずもって企業文化というものは大きく二つの形になる。見えるものと見えないものだ。

 

見えるものは、明確な制度的なもので、社訓や新人合宿、教育制度や留学制度、それこそ宣伝広告のスタンスや、「文化事業」への協賛金までのものであり、とにかくわかりやすい。アンデルセンさんの前述のデンマークとの国交レベルの交流など、そういうものはこのカテゴリーになり、まぁこの手の話は、前述のとおり「従業員にとって意味があるのか」問題になったりいろいろある。他のたいていの企業の場合は「企業経営者同士のゴルフコンペで話題にしたい」的な発想がメインなので、普通は仏作って魂入れずになる。とはいえ、そういうものがないと「ただの集金マシーンとしての会社」になるので、ないとまずいよね的な話は当然あるのは事実だ。なので、いろいろバランスの話になる。これはこれでいろいろあると思うのでいろいろ議論してもらえばいい。

 

で、もう一つは見えないものだ。

 

普通、日常会話で、「あのやり方があの会社の企業文化だよ」っていったときは普通はこれを指す。一種のエートスだ。

 

以降は「企業文化」という言葉は後者を指す。んで・・・

 

僕は努めて会社は法技術的なものだと思っている。金を集めて分配する機能を保持する「器」だ。形式上日本企業は株主のものということになっているが、株主が取締役や経営者ではない立場でオーナーとして会社に影響力を強く及ぼすということは現実的にはない。むしろそういうスタンスは所有と経営の分離とかなんとかで、あまりよい評判にもならないし、まぁそういうことだ。よって、会社の所有は株主のもの、というのはあくまで立て付けでしかなく、会社の実効支配は経営者と従業員による。または、経営者と従業員の都合、のための仕組みでしかないともいえる。

 

僕個人は、企業が「経営者と従業員の都合」のための仕組みという立てつけにおいて、「企業文化」というものは基本的には評価しない。できればそのようなものはない方がよいと思っている。理由は簡単で「企業文化」が“経営者と従業員のほどよい関係の維持”にとって極めて有害だからだ。

 

見えない企業文化は、大抵の場合、部課長あたりが良く言う「ウチのやり方は」的なものになったり、また、校長先生のお話的な役員の訓示あたりによく発露する。前者はまぁ大体その個人の考えだし、後者は現場から見ると局所的か、または高度感がありすぎて現実感がない。なお、最近トレンドの忖度なんかもこれに入る。

 

基本的に「企業文化」は組織防衛、あえて言うが過剰防衛、の一つの形であり、個々人にとってなんらかのメリットがあることは極めてマレであるどころか、大抵の場合は有害になる。とくに個々の家庭(人間としての最小単位)に対する干渉は過剰を越えて、結果、現状の日本においては社会基盤の存続自体に悪影響を及ぼすレベルになっていると思う。強制飲み会は序の口で、残業の話題やら、パワハラや果ては有給の取得やら勤務態度や、下手すると「普段の歩き方」まで来る。

 

ただし、「器の維持メンテ」という意味では有用で、その意味では「経営者と従業員の都合」というものが企業ではなく利害関係者の要請というものであれば、それなりの意味は持つので、結果的に有効なものではあると言えるが、所詮そのレベルの話でしかない。経営者-従業員間、経営陣の内部、従業員の内部間での自己都合のバーゲニングの材料になっているだけだ。それはそれで大事だという意見もわかるが、皮相的に言うならともかく、真顔で言われても困る。

 

この手の見えない企業文化はたいていの場合は、トップ/経営層/オーナーの「個人の恩讐」が組織にべったり貼り付いているものが多い。形式的にはいろいろ理屈はついてくるが、最終的にはそこに行きつく。これは往々にして一種の「呪い」になっている。ただし例外はある。

 

そして、その稀有な例外はアンデルセンさんだと思うし、高木さんの残したものだと思う。

 

端的に言うと。

 

「とにかく従業員・経営陣含めて「パンが好き」なのだ」

 

いや、もちろんそれは普通だろうという意見もあるとは思うが、フロントはともかく、バックエンドまでみんなそうなのだ。という、なんというか身も蓋もないが、そういうカルチャーが浸透している。ほぼ例外がない。それもちょっとわりと尋常ではない感じ。

 

これが、ではなにか企業のキャッシュフローに役に立つか?という意味ではたぶんなんの役にも立たないw。いやもちろんR&Dが盛んになるとか、現場の工夫が出てくるとか、まぁそういうメリットはあると思うけど、それはあんまり関係ないと思う。

 

ただただ「とにかく従業員・経営陣含めて「パンが好き」」なんですよ。ある意味無条件に肯定的。

 

今のトレンドは「企業文化」を“前向き”にして、なにか個々人・会社に意味があるものにするというのが、大絶賛でノウハウ本やネットですぐに話題になる。要するにこの手の話は、この資本主義というかグローバリズム新自由主義最強伝説の現在では、ほぼ功利的な位置付けでしか語られない。

 

車屋の「カイゼン」とか最たるもので、アレはまぁ明示な制度的なものではなくて、目に見えないところに意味がある。そういう「企業文化」を持つところは「強い」会社とされているし、割と絶賛されて、目指すところも多い。ま、前述のとおり僕は個人的にはまったく評価しない。あんなものイラン。

 

本来は”文化的なもの”というものの解釈には功利的なものとは別の位置付けがあったはずだ。現在はまったくそうではない。

 

企業活動において、特にカリスマチックなやり方以外で「何か新しいもの」を考えていく、というためには、「意図的に効率性を追い求める“以外”の方法で、かつ“無条件で何かを肯定できる”企業文化をもっていること」が必要な気がする。現在の日本企業は効率性もままならない上に、肯定的な企業文化ではなく、制約的・干渉的な企業文化が主流だと思う。結果、日本の企業活動は、とくに国内に関しては、ほぼ絶望的に「未来」なくなりつつある。

 

アンデルセンさんでは「無条件で何かを肯定できる力」がある。

 

これを高木さんが意図した結果なのか、意図せざるものとしての結果なのかは、ついぞ聞けるチャンスはなくなってしまった。そして、この文化が今後どう生かされていくのか、もよくわからない。

 

ただ、こういう企業文化を残したというのは、記録されてよいと個人的には思うので、書いておく。

 

とかく「肯定的なもの」を残すことが難しい時代だと思う。

それができた稀有な経営者が高木誠一さんだった。

 

ということを記して、ご冥福をお祈りしたい。

 

書いててとりとめもなくなってアレなんだけど、そう思ったのでそう書いた。

 

本当にいろいろありがとうございました。

 

 追伸:パン屋みんなそーじゃないのか?という話もあるが、(これはパン屋が(やればわかるが)かなりの重労働で結果、相当好きなやつしか居つけない説もある)現実に某最大手クラスのパン屋は別に全員がパンが好きな訳ではない(少なくとも僕の観測範囲ではニュートラルという人が多かった)ので、パン屋さん固有の話ではない。